2011年10月30日日曜日

スティーブ・ジョブズ 失敗を勝利に変える底力 PHPビジネス新書



失敗を恐れるものに、成功の女神はほほえまない。ジョブズの数え切れない失敗が、それを証明している。


表紙の袖にはそのように書かれていました。今まで、何人もの偉人伝を見ても、やはり、僅かな成功の裏に数え切れない数の失敗があります。その僅かな成功が、誰にもなしえなかったものだからこそ、成功者となるのでしょう。以下は本の中で印象に残った部分を抜粋しました。


第1章 アップルをクビになったことは人生最高の出来事


”「ジョブズは水平線のかなたにある数千マイル先まで見通すことができる」と評したのはかって部下だったジョイ・エリオットだが、こう付け加えることを忘れなかった。「しかし、そこに到達するまでの道がどうあるべきかは、ジョブズにはわかっていなかった」。経営トップが部下を置き去りにし遥か先をたったひとりだけで突っ走っているようでは、アップル社の問題は何一つ解決できないままだった。”本文より


第2章 策士が策に溺れてどうする - 戦略の失敗


”企業は、トップでなければ自分のやりたいことはできないものだ。そのことがよくわかっていいたジョブズは自分を救ってくれた恩人をあっさりと裏切って権力を手中に収めた。”本文より


そういえば、ネクストキューブはよく覚えています。斬新なデザイン、しかも洗練されたOSそのものは魅力的でしたが、当然、個人では手に入るものではなく、私のいた会社で熱狂的なアップルファンが給料と貯金をはたいて買った人間がいましたが、2,000人もいる外資系の会社でたった一人です。この当時はワークステーションというカテゴリのサン・マイクロの独壇場でした。その理由は、UNIXというOSで大量に流通するフリーソフトウェアの魅力であり、それはかって私のいた、当時世界第2位のコンピュータ会社、DECのコンピュータの存在と同じでした。そこに、概観、ハード、OSがすばらしい物が現れても、そこで動くソフトウェアが限られていたのと、価格が高すぎたというのが敗因だと書かれていますが、その通りだと思います。そのあたりのことが分からないジョブズはマーケティングセンスはあまり無いと言わざるを得ないと思います。


ピクサーの高度なグラフィックハードウェアにも魅力を感じたというのはジョブズらしい感覚だと思いますが、商売になるかというと結果論ではなく難しいと言わざるを得なかったと思います。

しかし、この次期私も米国に何度か言ってSIGGRAPHというグラフィックの展示会、カンファレンスを見て回りましたが、この頃のグラフィックのハードウェアは無限の可能性を感じたものです。しかし、ネクストキューブ同様、ソフトウェアの多さがキーとなるのは、いつの時代を同じですね。特定の業界向けの特定のハードウェア、ソフトウェアは必要な人から見れば、いくら出しても買いたいものでしょうが、パイが小さすぎる。私もiPod Touchを出た手の頃に買いました。それは、それまで、iPod Shuffle、iPod Nanoと買ってきてその延長で買ったのですが、コンセプトは全く違ったもので、単なる音楽プレーヤーではなく、小さなコンピュータでした。これが成功したのは皆が認めるとおり、アプリケーション開発のインタフェースを公開して、色々なソフトウェアが数百円という安さでダウンロードできる点でした。これは、ジョブズが考えたのか、マーケティングの人が考えたか分かりませんが、これが成功の原動力だと思います。


そう考えると、当時の日本にもジョブズと同じようにハードウェアにのみ魅力を感じて、これらのハードウェアの開発に力を注いだ人も多かったと思います。しかし、これほど自分勝手な人が日本にはいなかったということなのでしょう。


当時のMacには、概観やユーザインタフェースにはあこがれましたが、買わなかった最大の理由は、自分の仕事には必要がないからでした。ウインドウズのOfficeが無ければ文書のやりとりは出来ないし、仕事で使うソフトウェアはウインドウズでしか動かないなど、また、ハードウェアが限定されていないので色々なメーカがそれぞれの特徴を出して製品を出していたので、あえてMacを買う必要は無かったのです。とくに、ハードウェアがMac独自のもので汎用性がないという印象が強かった。


このあたりの時代を過ごしたものとしては、言っても言い尽くせないくらいの思いはあります。


アップルI、IIはウォズニアックが成功させ、アップルIIIはジョブズが失敗と導き、同様にリサでも失敗に導いた。マッキントッシュは一時成功を収めたが、長続きはせず、ジョブズはアップルを追い出され、新たに作った会社でも、ネクストキューブは売れず、ピクサーのハードも売れなかったのに、世間は、なぜジョブズを称えるのだろうか?それは、やはりiMac, iPod, iPhone, iPadの成功が印象的だったからだろう。


第3章 感情が先走れば理は消える - 人間関係の失敗


”ジョブズは全米注目の大金持ちとなったが、創業以前からの友人でありアップルの成長に寄与したコトケには、どうしたわけかストップオプションを認めなかったのだ。コトケのような古株社員に対して冷淡なジョブズと違い、もう一人の創業者であるウォズニアックは、心優しく手を差し伸べた。少数の連中だけ巨額を手にし、同様に頑張ったのみ株を手に出来なかった社員がいるのはおかしいとウォズニアックは感じていた。そこで彼は自分の持っていた株式を、分け前にあずかれなかった社員たちに与えることにしたのだった。”本文より


”一般的な企業では、社長の一番重要な役割は後継者育成であると言われ、部門長においても後継者育成は最重要の業務である。しかし、ジョブズは後継者を育成してこなかった。製品育成のほうに熱中するジョブズは、後継者の育成は現在もなおざりだ。”本文より


第4章 豪華絢爛な商談の果てに - 交渉の失敗


マイクロソフトは1975年に、アップルは翌年に創業した。アップルIIが世に出たときにBASICを提供していたのがマイクロソフトであった。このときに、アップル自身もBASICを開発していたが、ビルゲイツはこれを中止させた。その後、OSを持ったマイクロソフトは、ウインドウズというOS上でネットスケープというブラウザを追い出しIEを無理やりユーザに使わせた。このウインドウズというOSをのさばらせてしまった原因はアップルのソフトウェア軽視の結果である。私たちは出来の悪いウインドウズとその上で動く出来の悪いソフトウェアのバグを取るための新しいOSやOfficeと呼ばれるソフトウェアをその都度、高いお金を支払って買い続けなければならなかったのです。これによって、幾つものソフトウェア会社がつぶされていって、マイクロソフト社にとりこまれていったのです。タブレットの登場によって、ウインドウズを使わない世の中が来てくれればいいと思います。


ジョブズ、ビルゲイツ、それぞれ色々な場面で契約を通じて主導権をとり、とられと言ったことが展開されていたが、そのあたりのことがこの章に書かれています。IBMは結局、利幅の薄いハードウェアを作り続けてきただけで、トータルな製品としての主導権は一度も取れなかったのです。その後出てきた多くのパソコン企業も、利幅の少ないハードウェアにウインドウズというOSをのせ、CPUはインテルから買っていたわけです。今は無き、コンパック、DECでもパソコンは作り、HPもパソコンは作り、ゲートウェイ、DELLなどなど。一斉を風靡したワークステーションのサン・マイクロもORACLEに買収されなければつぶれていただろうし、アップルもAndroidに対していつまで優位でいられるのかも、舵取りを少し間違うだけで逆転してしまうでしょう。


第5章 全員の賛成なんか期待するな


2005年にアップルはモトローラ製の携帯電話にiTunesを搭載した「ロッカー」を販売していたと書かれていますが、全く記憶に残らない製品です。






この失敗を機に、ジョブズは独自の携帯でiPodのような機能でこのような操作性の悪い製品ではなく、液晶にセンサーを貼り付け、指の操作で曲の選択が出来るような製品を密かに開発していたようです。そして、万を辞してiPhoneを世に送り出したようです。そのモトローラの携帯部門は、今やGoogleに買収され、Google製のAndroidの最新版を搭載した旧モトローラの携帯電話が世にでてきて、さあ、アップルとの戦いは誰が勝利者となるかは予断を許さない状況です。


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