2012年9月20日木曜日

Steve Jobs本 Index

Steve Jobsが亡くなるとすぐに、その功績を振り返る本が続々と出版されました。その中ではMAC LIFEから出版されている物が内容はしっかりしているように思えます。


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2011年10月6日以降の本
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スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン

日経BPパソコンベストムック 2012年1月1日発行 スティーブ・ジョブズは何を遺したのか?


図解スティーブ・ジョブズ 神の仕事術 2011年12月26日 桑原晃弥著 PHP


MacPeople 2011年12月17日号増刊 CEOスティーブ・ジョブズ 追悼号


WIRED Vol.2 2011年12月1日発行 スティーブ・ジョブズが遺した14のレッスン


Mac Fan 2011年12月1日号 臨時増刊号 追悼 スティーブ・ジョブズ Steve Jobsメモリアルクリップ


COURRiER Japon 2011年12月1日発行 特別付録 注目の「スティーブ・ジョブズ伝記」を先行公開!


Inside Steve's Brain Leander kahney


AERA 2011年11月15日発行 スティーブ・ジョブズ 100人の証言
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1955年2月24日 - 2011年10月5日
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MACLIFE特別編集 2011年10月1日発行 スティーブ・ジョブズとアップル 奇蹟の軌跡 晋遊舎


スティーブ・ジョブズ 失敗を勝利に変える底力 竹内一正著 PHPビジネス新書 2010年12月3日


ジョブズはなぜ、「石ころ」から成功者になれたのか? 桑原晃弥著 リュウ・ブックス アステ新書 2010年10月6日


スティーブ・ジョブズ 名語録 人生に革命を起こす96の言葉 桑原晃弥著 PHP文庫 2010年8月18日


スティーブ・ジョブズ 神の交渉術 竹内一正著 リュウ・ブックス アステ新書 2008年6月5日

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関連本
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禅マインド ビギナーズ・マインド 鈴木俊隆著 松永太郎訳

現代人のための瞑想法 役立つ初期仏法話4

2012年9月19日水曜日

Steve Jobs presentation History

スティーブ・ジョブズはプログラマでもなければ、ハードウェアのデザイナーでもない。カリスマ性のある経営者である。社内では、自分の感性に妥協を許さないデザインをエンジニアやデザイナーに強要していたと思われるが、社外に対しては新製品発表会という機会で製品および自らをプレゼンテーションする姿が人々を魅了してきた。その様子はYouTube上に保存されていて容易に検索することができます。ここでは、それを時代順に並べてその変遷を見てみたいと思います。しかし、私は現段階では全てというより、全く自らの目、耳で見聞きしたことがないので、この作業は時間がかかるかもしれません。しかし、あせらず、ゆっくりと進めて行きたいと思います。最初は、ランダムに並べて、それから並べ替えという順に進めたいと思います。

ジョブズ 狂気のこだわり iphone 1/2
ジョブズ 狂気のこだわり iphone 2/2

The Lost 1984 Video: young Steve Jobs introduces the Macintosh
Steve Jobs Macworld 1998 Keynote (Part 1)
Steve Jobs Macworld 1998 Keynote (Part 2)
Steve Jobs Macworld 1998 Keynote (Part 3)
Steve Jobs Macworld 1998 Keynote (Part 4)
Steve Jobs Macworld 1998 Keynote (Part 5)
Steve Jobs Macworld 1998 Keynote (Part 6)
Steve Jobs Macworld 1998 Keynote (Part 7)
Steve Jobs Macworld 1998 Keynote (Part 8)
Steve Jobs Macworld 1998 Keynote (Part 9)
スティーブジョブス、Next創業当時の動画1
スティーブジョブス、Next創業当時の動画2
Steve Jobs Super presentation to NeXT vs SUN
One more thing
Traditional keynote endings
iPhone を発表するスティーブ・ジョブス(日本語字幕)
Steve Jobs 驚異のプレゼン 前編

2012年9月18日火曜日

Zen Mind, Beginner's Mind

この本は、鈴木俊隆という曹洞宗の住職が1959年にサンフランシスコに渡り、それ以来、約12年間に渡りブッダの心、の教えと実践的な座禅を伝えたときの教えをまとめて1970年に英語で出版され、世界24カ国以上で翻訳され支持されているようです。この方は既に1971年に亡くなられました。日本語に翻訳されたこの本は2010年に出され、2012年7月に再編集されて出版されました。

禅の教えはスティーブ・ジョブズにも大きな影響を与えたことは知られておりますので、あらためにこの本を読んで見ました。

プロローグ
「初心」は空の心。それゆえ、常にどんなことも受け入れる用意がある心です。初心者の心は、全てを受け入れる慈悲の心で、心が慈悲に満ちているとき、それは無限のものになる。このとき、私たちは本当の意味で自分に正直であり、ありとあらゆるものに共感を覚える。

第1部
正しい修行

姿勢
座禅の姿勢は、左足を右ももの上に、右足を左ものの上に置く。肩から力を抜き、背骨をまっすぐに伸ばして、あごを引き、横隔膜を下腹に向かって押し下げると身体や心のバランスを保つことができます。そうすると心と身体が自己のものとなる、まさに「今」、まさに「ここ」に存在する。
以下の解説は曹洞宗公式サイトを参照させて頂きました。


呼吸
座禅の修行をするときには、そこにあるのは、ただ呼吸の動きだけです。心は完全に息に集中すべきです。

コントロール
心を何かに集中させることが禅の真の目的ではありません。禅の真の目的は、ものごとをしっかりと、ありのままに見ると言うこと、すべてを起っては消えてゆくままにしておくことです。

心の波
座禅をするとき、さまざまな感情が起ります。さまざまな思考やイメージが起ります。しかし、それはあなた自身の心の波なのです。もし、心をあるがままにしておけば、心は落ち着きます

心の雑草
座禅をしているときに、心の波(心の雑草)を感じても、そうした波自身があなた方を助けるのです。心の波を気にかける必要はありません。むしろ心の雑草には感謝すべきです。やがてはあなたの修行を豊かにするものだからです。

禅の真髄
座禅の姿勢をとると、あなたの心と身体は、好き、嫌い、良い、悪いなしに、あるがままに受け取る偉大な力を持つ。

二つではない、ということ
私たちの修行は、ある考えを得ることでもなく、なんら期待も持つことなく行わなければなりません。それは目的なしに座ることとは違います。できる限り、心と身体で、なんの考えを得ようともせず、最善の努力を続ければ、そのとき、なにをしようと、あなたの行なうことは真の修行になるでしょう。ただ、修行を続けること、それがあなたの真の目的です。なにかをするとき、そのすること自体があなたの目的です。真の「空」は、あなたの修行で認識されるでしょう。

合掌礼拝
座禅の後、床に伏して九拝(9回のお辞儀)します。このように合掌礼拝をすることと、座る修行との間に違いはありません。仏の教えは得ることはできませんが、得ようとすべきなのが仏教です。一瞬、一瞬にベストを尽くせばそれで十分です。

特別なことはなにもない
毎週、毎年、この修行を続けましょう。そして、もっとも大事なことは、考えないこと、なにかを得られるかもしれないとは考えないこと。そうすると、やがて、あなたは、自分の本性を取り戻します。すなわち、自分の本当の姿を、再び、ここに始めるのです。

第2部
正しい態度

一途の道
禅の修業とは始まりも終わりもない道のようなものです。一瞬、一瞬に己の真の性質、誠実さを表す道なのです。

繰り返し
毎日同じことを繰り返すのは単調で大変です。しかし、元気で強い気持ちがあれば、難しくありません

禅と興奮
落ち着いて、日常の修行を行っていれば、自分自身の人格は強いものになってゆきます。こころがいつも気ぜわしいと、人格をつくる余裕がなく、うまくいきません。夢中にならない、という私達の修行は非常に否定的に見えるかもしれません。しかし、そうではありません。自分自身に対して働きかけるには、これがいちばん賢く、効果的です。また平易なのです。

正しい努力
なにも得ようとしないで座禅をするとはどういう意味ですか、修行にはどのような努力が必要なのでしょうか、と聞かれます。答えは、修行から余分なものを取り除く努力です。もし余分な考えがやってきたら、それを止めます。あなたは純粋な修行にとどまります。それが、私達が努力を向ける方向です。

痕跡をとどめず
禅の修行とは、禅と一つになることです。そのとき、あなたもありません。座禅もありません。合掌礼拝するときには、ブッダもありません。あなたもありません。そのとき一つの完全な合掌礼拝が起るのです。

神は与える
道元禅師は、「与えることは、執着しないこと」といわれました。つまり、なにものにも執着しない、ということは、与えることなのです。与えられるものがなんであれ、それは問題ではありません。

私たちが跏趺坐(けっかふざ)の姿勢をとって座るとき、私たちは創造のもっとも基本的な活動を、今、ここで、行なっているのです。たぶん、三つの種類の創造があります。座禅を終えて立ち上がるとき私たちは自分自身に気がつきます座っているときは「無」です。自分が何であるかも知りません。ただ座っているのです。しかし、立ち上がるとき、あなたは、現れます! これが創造の最初のステップです。あなたがそこにいるとき、すべてもそこにあります。すべては一度につくられるのです。

修行における間違い
普通、座禅の修行をしていると、理想を追い求めすぎてしまい、獲得すべき、あるいは達成すべき理想像なりゴールなりを設定してしまいます。これはばかげています。曹洞宗では、「ただ、ただ座る」という、只管打座(しかんたざ)を大事にします。

自分の活動を制限する
私たちの修行は、特定の目的やゴールを持ちません。一切の目標を持たない修行の道とは、自分の活動を制限すること、あるいは、今、この瞬間に行なっていることに集中するということなのです。

自己を学ぶ
仏道を学ぶとは、自分を学ぶことであり、自己を学ぶとは、自己を忘れるということなのです。私たちが、自分を忘れてしまうとき、それは大いなる存在の本来の働き、あるいは、真の実在そのものなのです。このことを理解すると、世界には問題と言う物がなくなります。そして、どんな困難もなしに生きることを楽しむことができます。私たちの修行の目的とは、この事実に気がつくことなのです。

瓦を磨く
私たちの修行はただ、ひたすら座り続けること。それが真の意味での修行です。瓦を磨き続けても宝石にはなりません。座禅を続けても、ブッダにはなりません。あなたがあなたであるとき、すべてをあるがままに見ます。そして周囲と一つになるのです。そこに真の自己があります。それが真の修行です。

つねに空であること
直感的にでも空の状態を理解した人は、いつも、ものごとをありのままに受け入れる、という可能性に開かれています。すべてを受け入れます。なすことすべて、それがたとえ困難なことであっても、こうした人は、つねに問題自体を消滅させてしまうことができるでしょう。

コミュニケーション
真のコミュニケーションとはたがいに率直であることです。一番のコミュニケーションは、なにもいわず、ただ座ることです。

否定と肯定
道元禅師はいいました。「誰かになにかをいう。すると相手は、それを受け入れないときがある。しかし、そうしたときに、知的に理解させようとしてはいけない。議論してもいけない。ただ彼の反対の意見を聞き、自分が間違っていることに気づくまで、待つが良い」

涅槃とは滝のよう
座禅によって「一切は空から生まれる」、つまり、1つの川全体、あるいは一つの心全体は、空性であるという感覚を育てることはできます。心と体のすべてをもって、宇宙的な心のコントロールにまかせて、一つになった心と身体で座れば、比較的容易にこの正しい理解を得ることができます。

第3部
正しい理解

伝統的な禅の精神
修行で最も大切なのは、姿勢と呼吸の仕方です。禅は、哲学的な理解にはそれほど関心を持たないのです。私達が重んじるのは修行です。私達は、本来仏性を持っています。私達の修行とはそれに対する信頼<信心>を基礎にしているのです。

無常ということ
ブッダの基本的な教えは、ものごとは移ろうということ、変化するということです。すべての存在は変化しているため、そこには常住する私というようなものはありません。また、この教えは、涅槃の教えです。「すべては変化する」ということ、「無常である」ということ、この永遠の真実をはっきりと理解し、そこに平静さを見出すと、私達は、涅槃にいるのです。

存在の質
座禅をする目的は身体にも心にも、自由を獲得することです。自信を持って座禅に心をおけば、その心の質が、その活動そのものになります。自分という存在の質に集中すれば、その活動に対する準備ができています。座禅を行うときの、私達の落ち着いた、安定し平静な本当の性質とは、存在の広大な活動の質そのものなのです。

自然さについて
人の話しを聞くとき、自分の考えを持つべきではありません。誰かの話を聞くときに、自分自身の考えを持つべきではありません。自分の心にあることは忘れてしまって、ただ相手の言うことを聞くのです。心を無にするということ、なにも持たないということが、自然なことなのです。そのとき、あなたは相手の言うことを理解できるでしょう。しかし、もし自分の考え方というものを持ち、そしてそれを相手の言うことと比べたりすると、あなたは相手の言うことを十分には聞くことが出来ず、あなたの理解は一方的なものになります。それは自然なことではありません。


仏教を学ぶときには、一度、先入観というものをすべて忘れる必要があります。まず捨てなければならないのは、ものが現実にそこにあるというような実質に対する、あるいは存在ということに関する観念です。真の存在は、空から生まれ、空に戻るといいます。空から現れるもの、それが真の存在です。

待ち受けている。とらわれないで見ている  mindfulness
私達の理解で大切なことは、流れるように、思考にとらわれることなく、観察をするということです。なんの滞りもなく、とらわれることなしに考え、観察しなければなりません。私達の心は、ものごとをなんの難しさもなく、ありのままに受け入れなければなりません。ありのままに理解できるように、柔らかく開かれていなければなりません。このような思考はいつも安定しています。それをマインドフルネスと呼びます。
智慧というのは、ある特定の能力のことでも、哲学のことでもありません。それは心がなにごとも受け入れて、観察できるように待機していることです。智慧は、マインドフルネスから生まれるのです。これが心の空性です。空とは、座禅の修行のことにほかなりません。

無を信じる
私が言う悟りの意味は「無を信じる」ということです。なんの形も色もなく、特定の色や形になろうといつも待っているものを信じる、ということです。この悟りは不変の真理です。この本来の心理の上に、私たちの活動や思考、そして修行の基礎が置かれなければなりません。

執着と非執着
座禅の修行と日常の活動は、一つのものです。座禅は日常の生活であり、日常の生活は座禅です。普通私たちは「座禅が終わった。さあ、毎日の仕事をしよう」と考えます。これは正しい理解ではありません。その二つは同じものです。

静けさ
座禅を行うとき、完全な心の平静さの中にいます。そのとき、なにも感じません。ただ座っているだけです。しかし、そうした座ることの静けさは、毎日の暮らしのなかで、あなたを力づけます。

哲学ではなく、体験を
人によっては、禅仏教は宗教ではないというかもしれません。そうかもしれません。あるいは禅仏教は、宗教以前の宗教なのかもしれません。そのため、普通の意味の宗教ではないのです。しかし、それはすばらしいことです。知的にそれを勉強しなくても、またカテドラルや美しい飾りを持たなくても、私たちは、自分の本来の性質に感謝することが出来ます。それは、非常に変わったことだと思うのです。

もともとの仏教
どの宗派も、自分達を別々の宗派であると考えるべきではありません。それは仏教の一時的な借りの形式です。しかし、さまざまな宗派が、このような考えを受け入れず、自分達を特定の宗派の名で呼ぶ以上、私たちも曹洞宗という仮の名を受け入れなければなりません。

意識を超えて
心はもともと空なのだ、ということをしっかりと確信すること、それが修行において、もっとも大事なことです。

ブッダの悟り
ポイントを見失い、自分が達成したことにプライドを持ったり、また理想を求めるあまり、努力が報われないと落ち込んだりしてしまうと、あなたの修行は、熱い壁の中に閉じ込められてしまいます。

エピローグ

禅の心
仏教にも、修業にも、執着しないようにしてください。私たちには初心者の心、なにかを所有することから自由な心、すべては流れる変化の中にあることを、知る心がなければなりません。

以上が、それぞれの項目として訴えていることのサマリです。これをさらにつまんでまとめると以下のようになりました。

座禅の修行をするときには、そこにあるのは、ただ呼吸の動きだけです。心は完全に息に集中すべきです。

心を何かに集中させることが禅の真の目的ではありません。禅の真の目的は、ものごとをしっかりと、ありのままに見ると言うこと、すべてを起っては消えてゆくままにしておくことです。

座禅をするとき、さまざまな感情が起ります。さまざまな思考やイメージが起ります。しかし、それはあなた自身の心の波なのです。もし、心をあるがままにしておけば、心は落ち着きます。

毎週、毎年、この修行を続けましょう。そして、もっとも大事なことは、考えないこと、なにかを得られるかもしれないとは考えないこと。そうすると、やがて、あなたは、自分の本性を取り戻します。

すなわち、自分の本当の姿を、再び、ここに始めるのです。
落ち着いて、日常の修行を行っていれば、自分自身の人格は強いものになってゆきます。こころがいつも気ぜわしいと、人格をつくる余裕がなく、うまくいきません。夢中にならない、という私達の修行は非常に否定的に見えるかもしれません。しかし、そうではありません。自分自身に対して働きかけるには、これがいちばん賢く、効果的です。また平易なのです。

禅の修行とは、禅と一つになることです。そのとき、あなたもありません。座禅もありません。合掌礼拝するときには、ブッダもありません。あなたもありません。そのとき一つの完全な合掌礼拝が起るのです。

私たちが跏趺坐(けっかふざ)の姿勢をとって座るとき、私たちは創造のもっとも基本的な活動を、今、ここで、行なっているのです。たぶん、三つの種類の創造があります。座禅を終えて立ち上がるとき、私たちは自分自身に気がつきます。座っているときは「無」です。自分が何であるかも知りません。ただ座っているのです。しかし、立ち上がるとき、あなたは、現れます! これが創造の最初のステップです。あなたがそこにいるとき、すべてもそこにあります。すべては一度につくられるのです。

普通、座禅の修行をしていると、理想を追い求めすぎてしまい、獲得すべき、あるいは達成すべき理想像なりゴールなりを設定してしまいます。これはばかげています。曹洞宗では、「ただ、ただ座る」という、只管打座(しかんたざ)を大事にします。

私たちの修行は、特定の目的やゴールを持ちません。一切の目標を持たない修行の道とは、自分の活動を制限すること、あるいは、今、この瞬間に行なっていることに集中するということなのです。

仏道を学ぶとは、自分を学ぶことであり、自己を学ぶとは、自己を忘れるということなのです。私たちが、自分を忘れてしまうとき、それは大いなる存在の本来の働き、あるいは、真の実在そのものなのです。このことを理解すると、世界には問題と言う物がなくなります。そして、どんな困難もなしに生きることを楽しむことができます。私たちの修行の目的とは、この事実に気がつくことなのです。


2012年9月17日月曜日

現代人のための瞑想法 役立つ初期仏法話4

瞑想で、思いのままに成功する。

サマタ瞑想


サマタ瞑想とは「落ち着く」という意味です。どんな方法でも、心がおちつくならば、それはサマタ瞑想です。ヨガと仏教では、呼吸を整えることをテーマに、じっと呼吸に神経を置くことがそれです
サマタ瞑想の第一段階の幸福感覚とは、「私は座っています」、「瞑想しています」という意識があり、自我意識もあり、外の音も聞こえるけど、でも、身体のなかのなかではなんだかすごく楽しいのです。
第二段階は、とくに外の世界を認識しようとしなくなります。頭の中で考えることもやめます。身体の中から強い喜びの波が生まれて出て行きます。
第三段階は、ただ楽しい、幸福と言う、すごく落ち着いた微妙な波動になります。そのときでも、本人は「自分がいる」という実感がありますが、外のものは見えません。
第四段階は、修行する人が、喜びの波動も荒っぽいと感じ、より落ち着きたいと思ってさらに集中力を高めることで達する境地です。苦もなし、喜びもなしです。ただ「在る」だけ。
最後の八番目に行くと、自分に本当に意識があるこか、認識機能がないのかも区別できないほど、微妙な状態に達します。これ以上、心を統一させることは不可能です。これがサマタ瞑想の頂点です。


サマタ瞑想の一つ、慈悲の瞑想

どうぞ、ラクにして座りながら以下の文章を唱えてください。ただし、背筋から頭にかけてだけは、ピッとまっすぐ、美しく座りましょう。

私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとがかなえられますように
私に悟りの光があらわれますように
私は幸せでありますように(三回繰り返し)


ヴィバッサナー瞑想

サマタ瞑想は究極的ではありますが一時的なものです。そこで、本物の幸福感、本物の心の成長を実現する方法として、お釈迦様が教えた「ヴィバッサナー瞑想」があります。ヴィバッサナー瞑想とは、ものを見ても主観で処理せず、事実でとまるということです。見えたことは事実ですから、そこに感情が生まれないように、「見えました」と念じます。「見えています」、「見えています」と念じます。「ヴィバッサナー瞑想」を、だいたい一日12時間から15時間ぐらい実践すれば、2週間ほどで悟りの世界がわかるはずです。それほどにも時間がかからない、すごく強力な瞑想法です。基本だけ知っていれば、存在のあり方がよく分かってきます。

悟りについて知る

ヴィバッサナー瞑想をすると悟りの境地に行けます。私たちの世界は「有」の世界しか知りません。ずーっと瞑想を続けてゆくと心が研ぎ澄まされて「無」を体験します。そして心が清らかになり自分の希望通りの生き方をすることができます。


立ってする「ヴィバッサナー瞑想」

ヴィバッサナー瞑想の3条件
・ノンストップの実況中継
 いま、なにをしているかを、途切れることなく実況中継してください。
・スローモーション
 スローモーションで身体を動かすことで、集中力が生まれてきます。
・身体の感覚を感じること
 身体の感覚をしっかりと感じ、一つ一つ言葉で確認してください。

据わっている上体から、立ち上がるところから始めます。「右手を上げます、広げます、広げます、置きます、置きます……」。身体の変化をしっかり感じながら立ちましょう。足の裏を意識しながら立ち続けます。「立っています、感じています、立っています、感じています」。この立って行なうヴィバッサナー瞑想を実践すると落ち着きが生まれます。

歩いてする「ヴィバッサナー瞑想」

目線は正面に向け、背筋を伸ばし、胴体はあまりうごかさずに歩きます。「右足、上げます……」、「運びます…」、「下ろします」、「左足、上げます……」

座ってするヴィバッサナー瞑想
ゆっくり座り、頭と背筋をビンと伸ばします。「座ります、座ります……」。腰骨から胴体を30度ぐらい前に倒し、目を閉じます。「目を閉じます、閉じます……」、「背筋を伸ばします、伸ばします……」、「息を吸います、吸います」、「吐きます、吐きます……」、「待ちます、待ちます……」

瞑想の終わり方

自分が決めた時間になったら、もう一度、三回深呼吸をしましょう。実況中継は「吸います、吸います、吐きます、終わります」です。それから「目を開けます」などの実況中継で立つことにしましょう。

 

2012年1月20日金曜日

スティーブ・ジョブズとアップル 奇蹟の軌跡 を読んで

第一印象は貴重な写真が多く詰まっていて、文章では伝えきれないものが理解できる本です。

目次

序章
世界を変えた波乱万丈の物語

勃興の時代

第Ⅰ章
2人の若者が成し遂げた桁違いのアメリカンドリーム

第Ⅱ章
パーソナルコンピュータ全盛時代ここにはじまる

脱皮の時代

第Ⅲ章
追放と受難、そして復活、ジョブズ最大の試練の時

第Ⅳ章
アップルの危機を救ったのはデザインパワーである

第Ⅴ章
新生Macの心臓部として蘇ったNeXT

奇蹟の時代

第Ⅵ章
音楽の無法地帯から世界最大の音楽ストアが誕生した

第Ⅶ章
「電話を再発明した」とジョブズは言った

第Ⅷ章
魔法のようなタブレットの快進撃

歴史に残るジョブズのスタンフォード大学祝賀スピーチ


スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼンを読んで

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン

・書籍のご紹介

2012年1月19日木曜日

日経BPパソコンベストムック 2012年1月1日発行 スティーブ・ジョブズは何を遺したのか? を読んで

図解スティーブ・ジョブズ 神の仕事術 を読んで

MacPeople 2011年12月17日号増刊 CEOスティーブ・ジョブズ 追悼号 を読んで

WIRED Vol.2 2011年12月1日発行 スティーブ・ジョブズが遺した14のレッスン を読んで

AERA 2011年11月15日発行 スティーブ・ジョブズ 100人の証言 を読んで

序章
iMiss U

第1章
「伝説」はなぜ生まれたか

第2章
ともに伝説を作ったビジネスマンたち

第3章
同時代を生きた経営者たち

第4章
伝説を伝えたジャーナリストたち

第5章
影響を受けたクリエータたち

第6章
「ジョブズの世界」に浸ったユーザーたち

第7章
素顔のジョブズを知る人たち

Newsweek 2011年10月19日発行 ジョブズ、天才の軌跡 を読んで

完全保存版

2011年11月10日木曜日

Newsweek日本版 特集天才なきアップルを悩ます「神話」 ジョブズ、偶像と実像 を読んで

ジョブズ神話とアップルの真価

ジョブズをほめている点
・天性の才能を生かし、新製品を発売するたびに、それが天地を揺るがす大事件であるかのように印象付けた。
・自社ブランドと製品を実力以上に光り輝かせてきた。
・関係者やファンの間で、ジョブズは「現実歪曲オーラ」の持ち主として知られていた。
・アップルはもちろん変わる。ジョブズのような聡明でカリスマ性があるリーダーがいなくなれば、組織の性格が変わらないわけがない。

ジョブズをけなしている
ジョブズはエンジニアではなかった。プログラムは1行も書いたことがないiPodの発明もデザインもしていない。iPodという名前を思いついたのもジョブズではない
マッキントッシュもジョブズの発明品ではない
・ジョブズは製品デザインに当たって、消費者の好みを探るマーケティングリサーチ方に頼らなかったことで知られる。彼が頼ったのは自分の直感だった。

「スティーブは夢を100回実現した」

ジョブズをほめている点
すごく計画的で、常に戦略が頭にあった。
・マイクはスティーブの才能を見抜いていた。情熱と興奮、そして世界で成功できる思考の持ち主だ、と。
スティーブの最大の強みは、誰もが「ビジョン」だと言うだろう。もちろんそれも重要だけど、戦略的な規律がなければビジョンには先行きがない。

ジョブズをけなしている
・彼がアップルでハードウェアやソフトウェアの設計をしたことはない。
・スティーブはと言えば、いつも人に食って掛かり、いつもトップになろうとしていた。そういう落ち着きのない攻撃的な人生は、技術者仲間にもたくさんいるけれど、僕には縁がない。

偽ジョブズが語る本当のジョブズ

ジョブズをほめている点
・ジョブズはただの実業家ではない。彼自身、自分をアーティストだと思っていた。しかも、文化そのものをキャンバスとするアーティストだ。

ジョブズをけなしている

近頃は多くの記事がジョブズを聖人に仕立てたがっているが、彼は聖人なんかじゃない。周囲の人間に対して、驚くほど気難しい態度を見せることもあった。私生活でも仕事上でも、愚かな過ちを犯してもいる。
・ジョブズがパロディーのネタになりやすかったのは、彼が病的なまでのエゴイストだったからだ。彼は社員をこき使い、面と向かって他人を侮辱する、鼻持ちならない、ユーモアを解さない男だった。
・アップルとはカルト的な宗教団体の運営する家電ビジネスであり、マフィアの仕切るディズニーランドだ。もちろん立派なビジネスだが、同時にカルトでもあり宗教でもある。

ガレージすらなくソファだけだった頃

ジョブズをほめている点
・ジョブズは、技術そのものには価値を見出さなかった。問題を解決するとか、何かを実現することで初めて価値が出るという考えだった。
・常に完璧な仕事を要求された。そこまでやってられるか、と思う人も多かったけど、彼のビジョンが少しでも垣間見えると話は別になる。うるさいのも納得できるんだ

ジョブズをけなしている
・-ジョブスは当時から天才と思われていたのか。技術者としてなら、答えはノーだ。プログラムも書けず、他の人に書いてもらっていた。ただ、物事を成し遂げる気概があるのはみんな分かっていた。
・われわれはアップルと言う宇宙の中にいて、外界のこと何も知らなかったんだ。-例えば。ウインドウズが、そしてマイクロソフト・オフィスが世界を征服したこと。インターネットも完全に見過ごしていた

こう見てくると、技術的な先見性はなく、社員が作り上げた製品(ジョブズには試作品にしか見えなかったのかもしれない)を自分の美学にあった製品へのするために執拗に社員をこき使い、納得できる製品が出来たら、自分は天才で、この製品は最高だと思い込ませるのが上手だった経営者と見るのが妥当かもしれない。

・雑誌のご紹介

2011年11月8日火曜日

Mac Fan 2011年12月 臨時増刊号 追悼 スティーブ・ジョブズ(ありがとう、スティーブ Memorial Clip Contents)

Mac Fan 2011/12 臨時増刊号 追悼 スティーブ・ジョブズはやはり、長年Appleを追いかけてきた本だけあり、過去から現在をコンパクトにまとめていて、これまでのジョブズの功績を、1冊の本に2部構成でまとめてあります。56歳で亡くなったことを象徴しているのか、2部構成のそれぞれの終わりがページ56としてまとめてありました。

第1部 最初のページから最後に向かって中ほどのページ55まで(ページ56で折り返し)
 Steve Jobs メモリアルクリップ"Apple_ism"

R.I.P.
(rest in peace 安らかに眠れ)
ありがとう、スティーブ

 01 rememberingsteve@apple.com
 02 スティーブとの最後の別れ、そして天国へと届くメッセージ
 06 読者からのありがとう
 07 なぜ、人はこれほどまでにジョブズに引きつけられるのか?
 08 Appleという創造
 14 ジョブズのビジネス流儀
 28 ジョブズのデザイン哲学
 44 もう1つのApple物語
 56 1984 - 2004

最初に著名人からのスティーブへのメッセージがありました。

バラク・オバマ
世界は一人のビジョナリーを失った。彼の訃報は世界の多くの人々が彼が生み出したデバイスで知ったということ、彼の成功に対するこれ以上の賛辞はないだろう。スティーブの妻ローリーンとご家族、彼を愛していたすべての人へ、ミシェルと私から哀悼の意を表する。

Mac OSはAppleのハードウェアと一体で価値を持っているが、1993年にAppleのCEOに就任したマイケル・スピンドラーはMac OSのライセンス事業を展開した。私のイメージではMac OSはAppleのパソコンだけにだけ稼動するOSでハードとOSが一体化しているものとばかり思っていました。しかし、PIONEERがMac OSを載せたパソコンを製造していたとは知りませんでした。こうなると、それぞれのメーカーが自社の強みを出した、色々な特徴のあるパソコンが出来てしまい、本家のパソコンもうかうかしてはいられない状況が作り出されたものと想像できます。これはこれで、買う側からすると選択肢が増えてよいとは思いました。しかし、これではAppleのパソコンの競争力がなくなってしまうので、当然ながらこのようなライセンス販売は終了してしまった。


第2部 最後のページから最初に向かって中ほどのページ55まで(ページ56で折り返し)
 Steve Jobs メモリアルクリップ"Apple_history"

Innovated by Steve.
iPhone 4 Steve.
ありがとう、スティーブ

 01 1976_Apple不世出の人生美学【前編】
 02 ジョブズ豪快伝説
 06 スティーブ・ジョブズ プライベートの素顔
 08 スティーブの2つの顔
 10 記憶に残るジョブズの「あの時のドラマ」
 16 Macintochの黎明
 24 我らJobsフリーク!!
 34 アップルの株価に見るジョブズの功績
 36 1997_Apple不世出の人生美学【後編】
 56 1984 - 2004

中身はこれからゆっくりと読んでゆきます。

・雑誌のご紹介

2011年10月31日月曜日

スティーブ・ジョブズ 神の交渉力 この「やり口」には逆らえない!

気が付いたら最近買った本の著者は、桑原晃弥さんか竹内一正さんでした。これらの本は、iPhoneが出てきて再びジョブスに注目が集まった時期に書かれています。同じ状況、同じ著者ということで、これ以上買っても、同じ視点なので、今後は昔から出版されていた本を、図書館で借りて読もうと思います。

この本のまえがきにはこう書いてありました。日本は今、個人所得も伸びず、ビジネスにも閉塞感がただよう。なにをどうしていいのか、宙ぶらりんの状態だ。だからこそ、熱いジョブスの生きざまが、読者の目の前の悩みを吹き飛ばし、一歩先へ進む勇気となれば、こんなにうれしいことはない。

確かにそうかもしれない、今は強い指導者の出現を皆が望んでいるように思えます。特に、このような時代だからこそ政治でも強い指導者が求められているにも関わらず、この5年位考えても、で何人の首相が変わったことか。指導力のない、一貫性のない政治家ばかりが目立ってしまうからこそ、ジョブズのようなあくの強い指導者にハイライトが当たるのではと思います。実際は多分、部下の中にはジョブズを嫌っている人も多かったのではないかというのは想像しやすいことです。

・書籍のご紹介

2011年10月30日日曜日

スティーブ・ジョブズ 失敗を勝利に変える底力 PHPビジネス新書



失敗を恐れるものに、成功の女神はほほえまない。ジョブズの数え切れない失敗が、それを証明している。


表紙の袖にはそのように書かれていました。今まで、何人もの偉人伝を見ても、やはり、僅かな成功の裏に数え切れない数の失敗があります。その僅かな成功が、誰にもなしえなかったものだからこそ、成功者となるのでしょう。以下は本の中で印象に残った部分を抜粋しました。


第1章 アップルをクビになったことは人生最高の出来事


”「ジョブズは水平線のかなたにある数千マイル先まで見通すことができる」と評したのはかって部下だったジョイ・エリオットだが、こう付け加えることを忘れなかった。「しかし、そこに到達するまでの道がどうあるべきかは、ジョブズにはわかっていなかった」。経営トップが部下を置き去りにし遥か先をたったひとりだけで突っ走っているようでは、アップル社の問題は何一つ解決できないままだった。”本文より


第2章 策士が策に溺れてどうする - 戦略の失敗


”企業は、トップでなければ自分のやりたいことはできないものだ。そのことがよくわかっていいたジョブズは自分を救ってくれた恩人をあっさりと裏切って権力を手中に収めた。”本文より


そういえば、ネクストキューブはよく覚えています。斬新なデザイン、しかも洗練されたOSそのものは魅力的でしたが、当然、個人では手に入るものではなく、私のいた会社で熱狂的なアップルファンが給料と貯金をはたいて買った人間がいましたが、2,000人もいる外資系の会社でたった一人です。この当時はワークステーションというカテゴリのサン・マイクロの独壇場でした。その理由は、UNIXというOSで大量に流通するフリーソフトウェアの魅力であり、それはかって私のいた、当時世界第2位のコンピュータ会社、DECのコンピュータの存在と同じでした。そこに、概観、ハード、OSがすばらしい物が現れても、そこで動くソフトウェアが限られていたのと、価格が高すぎたというのが敗因だと書かれていますが、その通りだと思います。そのあたりのことが分からないジョブズはマーケティングセンスはあまり無いと言わざるを得ないと思います。


ピクサーの高度なグラフィックハードウェアにも魅力を感じたというのはジョブズらしい感覚だと思いますが、商売になるかというと結果論ではなく難しいと言わざるを得なかったと思います。

しかし、この次期私も米国に何度か言ってSIGGRAPHというグラフィックの展示会、カンファレンスを見て回りましたが、この頃のグラフィックのハードウェアは無限の可能性を感じたものです。しかし、ネクストキューブ同様、ソフトウェアの多さがキーとなるのは、いつの時代を同じですね。特定の業界向けの特定のハードウェア、ソフトウェアは必要な人から見れば、いくら出しても買いたいものでしょうが、パイが小さすぎる。私もiPod Touchを出た手の頃に買いました。それは、それまで、iPod Shuffle、iPod Nanoと買ってきてその延長で買ったのですが、コンセプトは全く違ったもので、単なる音楽プレーヤーではなく、小さなコンピュータでした。これが成功したのは皆が認めるとおり、アプリケーション開発のインタフェースを公開して、色々なソフトウェアが数百円という安さでダウンロードできる点でした。これは、ジョブズが考えたのか、マーケティングの人が考えたか分かりませんが、これが成功の原動力だと思います。


そう考えると、当時の日本にもジョブズと同じようにハードウェアにのみ魅力を感じて、これらのハードウェアの開発に力を注いだ人も多かったと思います。しかし、これほど自分勝手な人が日本にはいなかったということなのでしょう。


当時のMacには、概観やユーザインタフェースにはあこがれましたが、買わなかった最大の理由は、自分の仕事には必要がないからでした。ウインドウズのOfficeが無ければ文書のやりとりは出来ないし、仕事で使うソフトウェアはウインドウズでしか動かないなど、また、ハードウェアが限定されていないので色々なメーカがそれぞれの特徴を出して製品を出していたので、あえてMacを買う必要は無かったのです。とくに、ハードウェアがMac独自のもので汎用性がないという印象が強かった。


このあたりの時代を過ごしたものとしては、言っても言い尽くせないくらいの思いはあります。


アップルI、IIはウォズニアックが成功させ、アップルIIIはジョブズが失敗と導き、同様にリサでも失敗に導いた。マッキントッシュは一時成功を収めたが、長続きはせず、ジョブズはアップルを追い出され、新たに作った会社でも、ネクストキューブは売れず、ピクサーのハードも売れなかったのに、世間は、なぜジョブズを称えるのだろうか?それは、やはりiMac, iPod, iPhone, iPadの成功が印象的だったからだろう。


第3章 感情が先走れば理は消える - 人間関係の失敗


”ジョブズは全米注目の大金持ちとなったが、創業以前からの友人でありアップルの成長に寄与したコトケには、どうしたわけかストップオプションを認めなかったのだ。コトケのような古株社員に対して冷淡なジョブズと違い、もう一人の創業者であるウォズニアックは、心優しく手を差し伸べた。少数の連中だけ巨額を手にし、同様に頑張ったのみ株を手に出来なかった社員がいるのはおかしいとウォズニアックは感じていた。そこで彼は自分の持っていた株式を、分け前にあずかれなかった社員たちに与えることにしたのだった。”本文より


”一般的な企業では、社長の一番重要な役割は後継者育成であると言われ、部門長においても後継者育成は最重要の業務である。しかし、ジョブズは後継者を育成してこなかった。製品育成のほうに熱中するジョブズは、後継者の育成は現在もなおざりだ。”本文より


第4章 豪華絢爛な商談の果てに - 交渉の失敗


マイクロソフトは1975年に、アップルは翌年に創業した。アップルIIが世に出たときにBASICを提供していたのがマイクロソフトであった。このときに、アップル自身もBASICを開発していたが、ビルゲイツはこれを中止させた。その後、OSを持ったマイクロソフトは、ウインドウズというOS上でネットスケープというブラウザを追い出しIEを無理やりユーザに使わせた。このウインドウズというOSをのさばらせてしまった原因はアップルのソフトウェア軽視の結果である。私たちは出来の悪いウインドウズとその上で動く出来の悪いソフトウェアのバグを取るための新しいOSやOfficeと呼ばれるソフトウェアをその都度、高いお金を支払って買い続けなければならなかったのです。これによって、幾つものソフトウェア会社がつぶされていって、マイクロソフト社にとりこまれていったのです。タブレットの登場によって、ウインドウズを使わない世の中が来てくれればいいと思います。


ジョブズ、ビルゲイツ、それぞれ色々な場面で契約を通じて主導権をとり、とられと言ったことが展開されていたが、そのあたりのことがこの章に書かれています。IBMは結局、利幅の薄いハードウェアを作り続けてきただけで、トータルな製品としての主導権は一度も取れなかったのです。その後出てきた多くのパソコン企業も、利幅の少ないハードウェアにウインドウズというOSをのせ、CPUはインテルから買っていたわけです。今は無き、コンパック、DECでもパソコンは作り、HPもパソコンは作り、ゲートウェイ、DELLなどなど。一斉を風靡したワークステーションのサン・マイクロもORACLEに買収されなければつぶれていただろうし、アップルもAndroidに対していつまで優位でいられるのかも、舵取りを少し間違うだけで逆転してしまうでしょう。


第5章 全員の賛成なんか期待するな


2005年にアップルはモトローラ製の携帯電話にiTunesを搭載した「ロッカー」を販売していたと書かれていますが、全く記憶に残らない製品です。






この失敗を機に、ジョブズは独自の携帯でiPodのような機能でこのような操作性の悪い製品ではなく、液晶にセンサーを貼り付け、指の操作で曲の選択が出来るような製品を密かに開発していたようです。そして、万を辞してiPhoneを世に送り出したようです。そのモトローラの携帯部門は、今やGoogleに買収され、Google製のAndroidの最新版を搭載した旧モトローラの携帯電話が世にでてきて、さあ、アップルとの戦いは誰が勝利者となるかは予断を許さない状況です。


・書籍のご紹介

2011年10月29日土曜日

Inside Steve's Brain : Business Lessons from Steve J by Leander Kahney

今日は代官山に用事があり、その帰りに新宿で紀伊国屋書店に寄りました。7回の洋書コーナーでこの本を見かけて、買いました。ペーパーバックなので1,509円と安いので助かります。

しかし、話は変わりますが、RFIDも安くなって色々な商品につけられていますね。この本の裏にもバーコードが印刷されたRFIDが付いていました。つい5年以上前には高すぎて安い商品には付けられなかったのですが、今は安く出来て色々なものに付けられていますね。これを付けると、支払いをしないでゲートを抜けようとすると警告がなるシステムに活用できますし、在庫管理などにも応用できるものですね。

本を読んだ感想はそのうちに。

・書籍のご紹介

スティーブ・ジョブズ超人伝説という特大号の雑誌を読んで

最近はスティーブ・ジョブズという名前が本に出ていると、本屋でつい取り上げて眺めてしまいます。
今日も、会社のビルの1階にある本屋さんの入り口にある話題本コーナーに、表紙にスティーブ・ジョブズ「超人伝説」とかかれた週刊ダイアモンドの今週の特大号と銘打った雑誌がありました。

パラぱらっと見て、スマートフォンの宣伝本のような本でしたが、少しジョブズのことが書かれていたので、とりあえず買いました。アップルは私が社会人になって数年経ってから出来た会社ですので、最初の製品から今に至るまで全て見聞きしてきましたが、ほとんど忘れていたので、会社の年表が見開きにあり、時代と製品の名前が載っていて、その頃のことが思い出されました。この年表になかったのですが、アップルからニュートンというPDAが出された頃、私はPalmというPDAを作っている会社に勤めておりました(Palm OSは日本ではソニーにライセンスされてCLIEという名のPDAがあったのを覚えているかもしれません)ので、その時代の技術とiPodやその他の技術が折り重なってiPhoneの下地になったのではないかと思います。つい、6年位前には電車の中でCLIEを使っている人を多く見かけました。私もCLIEはメモ帳代わりに使っていました。そのときの手書き文字認識の技術はiPhoneには生かされませんでしたが、日本製のスマートフォンには手書きという技術が生かされていて、日本人の適応の速さと応用の力はまだまだあると感じました。余談ながら、私はPalm部門のある3Comという会社の本社へ出張した際に、Palm VIIという無線ネットワークに接続してインターネット接続するという今のiPhoneのような製品を買いました(日本ではこの無線ネットワークサービスは提供されていないので、全く使えないのは分かっていますが、買ってしまいたいのがマニアックなところです)。かなり前からこのようなアイデアは実現されていました

Palm pilotの写真
Palm VIIの写真

Sony CLIEの写真
newtonの写真

このiPodからiPod Touchへの変革には大きく昔のニュートンというPDAでの失敗が生かされたのではないかと思います。私の知り合いにも熱烈なAppleファンがいて、Macを買い換えていたり、ニュートンを持っていたりしていましたが、マイナーな感じがありました。しかし、iPhoneの登場でAppleがメジャーとなって今は誇りに思っているのか、それともマイナーなAppleが好きだったのかは聞いていないので分かりません。その彼は、ジョブズがAppleから去った後で作った会社のNeXTというワークステーションは当時、高かったのに小遣いで買って会社に持ってきて使っていました。本体は黒い大きな四角の箱でディスプレイやプリンターも黒で統一された、デザイン性に優れた製品でした。ワークステーションではSun Microsystemsが大きなシェアを占めていましたが、別のセグメントで勝負しようとしていたようです。しかし、これもビジネス的には失敗でした。そのときの、社員向けのビデオがYouTubeにあることがAppBANKというサイトで紹介されていたので、ここでも紹介させて頂きます。



でも、ジョージルーカスのグラフィック製作会社を買って、そこのエンジニアが作り上げた「トイストーリー」が大ヒットして大金持ちに返り咲くなど、投資家としては周りの人たちを情熱的に働かせたところはすばらしいし、多分、色々なわがままを言ったでしょうが、それについてきたエンジニアの勝利だと言えると思います。

ジョブズがAppleへの復帰後の製品で鮮烈に記憶に残っているのが、iMacでした。ブラウン管ディスプレイの筐体の中にすべての機能を詰め込んで、横から見るとおにぎりを逆さにしたような斬新な形で、ジョブズらしいこだわりは、カラーバリエーションでした。暗めのブルー、薄めのオレンジ、シルバーなど、それぞれ個性的でした。これは、いままでのMacintochの四角を基調としたものとはことなり、角の取れたやわらかいデザインでした。同時期に出たデスクトップの筐体も同じようにプラスチックを用いた柔らかなイメージのものでした。

iMacの写真

しかし、私のようにAppleの誕生と同じ時代に育った人間にとっては、多くの失敗製品を見ていますし、少しの成功した製品を見ているので、スティーブ・ジョブズが神様だとは到底思えませんが、完璧な製品を作るという理念と芸術と科学を融合させた「リベラルアーツ」の体現は誰にも真似できないということには反論は致しません。

この本の中でソフトバンク社長の孫 正義さんは、ジョブズに対する見方として「すべてが本物に対するこだわりです。まさに芸術家です。その芸術に技術を融合させました現代のレオナルド・ダビンチのようですその作品は世界に広まり、多くの人のライフスタイルを変えました」と書かれておられました。

また、ジョブズがNeXT社を立ち上げた頃日本語版WIREDの編集長だった小林弘人さんは、ジョブズは、使い手にとっての操作性などを含めたデザインに、ものすごくこだわります。そして、アップルの製品は「どうあるべきか?」という哲学的なところまで踏み込んで考えていましたと書かれています。また、「ジョブズという人は、経営者という文脈で語るべきではないのかもしれません。もちろんすぐれた経営者であり、改革者であり、そしてイノベーターではありますが、私にはジョン・レノンやジミー・ヘンドリック、ブルース・リーなど時代を象徴した”ポップ・アイコン”のような存在だというほうがしっくりきます。とも書かれています。

・雑誌のご紹介

スティーブ・ジョブス名語録を読んで

PHP文庫から出ているこの本は、以前買って読んでたのですが、チャリティーで20冊の本を寄附する際に差し上げた1冊でした。
今、スティーブ・ジョブスが亡くなって、本屋を探したときに、真っ先に目に付いたのがこの本でした。再びじっくり読んでみようと買いました。

基本的に、人が発した一言だけを切り取って、その人の人柄、生き方を理解するのは難しいと思います。このほかにも迷言や心にもないことを言っていて、それだけがクローズアップされているのかを判断するのは読んでいる自分ですから、そのときの気分で心に残る名言に感じたり、当たり前のように感じたりするもので、著者の目から見たまとめかたであるということを年頭に、さめた感じで読み返して見たいと思います。

多分、ジョブスにたいする共通の認識としては、何かを発明したすごい技術者ではないという点。そして、天才経営者でもない。すばらしいものになる素質のある技術を見出し、素晴らしいものに完成させるまで続けるという生き方ではないかと、この本の「はじめに」に筆者が書いていましたが、多分、その通りではないかと思います。

日本にはこうした人がなかなか現れなかったり、少なかったりするので、だんだん日本のものづくりが弱くなってきているのではないでしょうか。そういう風に考えると、ジョブスは日本が元気だった最盛期の町工場の社長さんのような気概と行動力を兼ね備えていたのではと思います。

こういう人が、国産製品として守られた世界にいると最近のニュースのように、1万人規模のリストラをしなければならない事態を引き起こしてくるのでしょう。私は外資系にいますから、こうした国産会社が優遇されている状況をずっと見てきました。大学のクラスでも1番、2番の人がこのような会社に勤め、定年まで守られていた時代もありましたが、今はそんな安定した職場ではないようです。日本の会社が今の事態になってしまったのは、物事の決定において封建的になってきたのではないかと言う点とチームが一丸となって目的に向かうと言う点が薄れてきているのではと思います。つまり、チームを引っ張るような人が少ないのではと思います。

この本で紹介されている言葉で、どれか1つを選ぶとすると、「私が好んでやまないウェイン・グレッスキーの言葉をご紹介します。『私が滑り込んでゆく先はパックが向かってくるポイントであり、パックがあったところではない。』アップルも同じことをつねに試みてきました。誕生のごくごく初期の頃からそうでした。そして、これからもそれに変わりはありません」

One more thing....
「いっしょに働く人材のクオリティ水準を高く保つこと、それが自分の仕事の1つだといつも考えてきた。それは私が個人として貢献できる数少ないことの1つだろう。Aプレーヤーしか要らないという目標を組織にしっかり植えつけようとするのだ。何につけ、世界のトップ人材に目をつけることはあとあと役に立つ」

・書籍のご紹介

2011年10月26日水曜日

ジョブズはなぜ、「石ころ」から成功者になれたのか?


スティーブ・ジョブズ本を読んで。今年はじめに買ったPHP文庫から出ているスティーブ・ジョブズ名語録はアカデミーヒルズのチャリティ・イベントに差し上げてしまったので、まずは『ジョブズはなぜ、「石ころ」から成功者になれたのか?』から読み始めることとします。


まずは、先入観なしに読みたいといったところですが、まずは先入観をを列挙します。
天才、世の中を変えたと言われていますが、自分自身で良い印象として残ったもの。


1.出来の悪いWindowsに比べて、外観、内観(プリント基板上での部品の配置)がすぐれています。Windowsはいつまで経ってもMacには勝てません。WindowsはサーバだけでよくてクライアントPCにはiPhoneのように電源を入れたらすぐにメールが見れるハードウェアが必要ですし、それと協調してすばやく動くスマートフォン、タブレットで、長年つき合わされて来たクライアントPC及びOSとしてのWindowsにそろそろ引導を渡す時期ではありませんか?私が社会人となって、IBM、富士通、日立などの汎用機を利用してプログラミングをしていて10年くらい経ったときに、8ビット、16ビットマイコンキットがではじめ、MicrosoftはMS-DOSを提供していましたが、それから出てくるもの出てくるもの、Macのまねばかりで、しかも出来が悪く、しょっちゅう、半日がかりでWindowsのインストールをしていました。Windowsは私の貴重な時間をその出来の悪さで浪費させてしまいました。いい加減、どっかにいってくれ!何だって、タブレットにWindows7!?ナンセンス。どこまで、人をばかにすればいいのか。Mac頑張れ、タブレット頑張れ。


2.Lisaは衝撃的でした。NECも、物まねでPC9800時代にPC100なる中途半端なものを作りました。日本にジョブスのような人間はいません。素直にジョブズはすばらしいと思います。


3.昔のMacのイメージは、Photo shopその他、AdobeのソフトウェアはMacでしか提供されていないというように記憶されておりますので、少しづつ思い出してみたいと思います。ゲーム機を引き合いの出すのはお門違いかもしれませんが、売れているゲーム機は、その本体の魅力よりもどれだけ魅力のあるソフトが提供されているかだと思いますので、Mac初期の頃のAdobeの存在は大きかったと思います。最近はAdobeのソフトはWindowsでも動くようになりましたが、やはり、AdobeのソフトはMacでなければと、Macファンでない私でさえ、そう思えるようです。


4.良い製品を作り出すために有能な人物とのパートナーシップに力をいれた
ジョブズは有能な人間の優れたアイデアを自分の理想の実現に利用した人であると思います。そして、その有能な人たちの支えによりすばらしい製品を世に送り出しました。また、数え切れないくらいの試行錯誤の果てにすばらしい製品が出来てきました。これまでのジョブズの業績はこの人たちの業績でもあるのです。


つぎに、悪い印象として残ったもの。


1.iTuneは出来が悪い。
1-1.しょっちゅう、バージョンアップされて、起動してCDなどを読み込ませようとすると、新しいバージョンのダウンロードしますかと言われるのが邪魔くさい。
1-2.iTuneをバージョンアップしようとすると、ついでにQuicktimeのインストールなども誘導される。
1-3.iPodはituneなしには何もできない。それに比べて、ウオークマンはPCに接続するとUSBメモリーのように扱って音楽ファイルをフォルダーにコピーするだけで音楽、写真など振り分けられる。iTuneのようなソフトはあるがそれを使わなくても良い。


2.iPhoneの功罪は。
私はiPod Shuffle, iPod nanoときて、iPod Touchになり早2年以上経っていて、TouchはWifiのある場所や自宅でメール、facebook, twitter, LinkedIn,Google+などを使っていて、便利に使っていますが、スマートフォンブームで皆が使っているのを見ていると、新たなおもちゃが出来た程度の使い方で、こんなのなかった方が良かったんではないかと思うことがしばしばあります。余計なものを作ってしまった?


3.iPhoneに至るまでの失敗の数々
iPhoneはiPodのshuffleからiPod nanoになり、nanoからtouchに変わったときに大きく変わりました。touchはWiFiを持ち、インターネットにつないで自由にアプリをダウンロードできます。音楽は相変わらずiTuneという出来の悪いソフトウェアの動くパソコンと専用ケーブルでつなげなければならないので、このあたりはiPodの初代から受け継がれた技術ですが、TouchにインストールされたアプリからWiFiでインターネットに接続されパソコン用のホームページを見れるようになったというのは、携帯での携帯専用サイトとは比べ物にならないくらいの情報量が扱えるようになりました。WiFiを携帯からのデータに変えてiPhoneが誕生するわけですが、Appleは昔からPDAでは失敗の連続でした。もうPDAはやれないだろうと思っていましたが、その後の色々な技術の進歩により今のiPhoneやiPadができるようになったわけです。スティーブ・ジョブズもニュートンの失敗を取り戻して余りある製品を世に送り出したわけです。


4.Windowsとのシェア争いに負けた時の再現か。
iPhoneの好調で気をよくしていたときに、Androidが携帯のOSを一変させてしまった。今までは携帯メーカはその携帯だけのOSを開発しており、業界のデファクトスタンダードはなかった。たとえば、ノキア、Motorola、日本国産メーカなど独自のOSを利用していました。それが、Andoroidが出てきてジョブズは非常にあせったと思います。再度、PCの世界のMacとWindowsがタブレットやスマートフォンのOSがAndoroidの出現で圧倒的にAndoroidのシェアが今後伸びてゆくのは眼に見えていて、それを恐れてか、水爆をつかってでも、つぶしてやると(病床でビル・ゲイツ)言ったそうです。最近読んだ本なので、どの本に書いてあったかは忘れました。これは、Android出現に非常な危機感を感じていることの表れだと思います。MacとIBM PCが競っていたときに、Macはユーザインタフェースでかなり進んでいました。当時、IBM PCはDOSベースのものでした。しかし、MicrosoftがMS-DOSからWindows95を出してきて、IntelのCPUと組み合わせたPCがMac以外すべてとなってしまい、PCシェアでは圧倒的にWindowsの優位が揺ぎ無いものになって久しい状況でした。今も、MacとWindowsのPCでは圧倒的にWindowsです。そんな中、携帯のシェアでiPhoneが出るや、一気にiPhoneが世界中に広がり、その他の携帯を大きく引き離しました。そんな時に、Androidが出てきて、今やほとんどの携帯のOSにAndroidが使われようとしています。AndroidがiPhoneを抜くのは、もはや時間の問題です(多分?)。


余談ですが、私はWindowsの誕生であるWindows3.1の時代から使っていますが、Windowsの再インストールのためにどれほど多くの時間を無駄にされたか計り知れません。それに、だんだん使い勝手の悪くなるOfficeをその都度買わされて、怒り心頭です。最近のOffice2007、あれ、何ですか?人を馬鹿にしている。今までと同じような機能でありながら全く操作方法を変えてしまって、いままで平気でしていた操作が、どこにあるのか探すのに苦労して、ここでも私の時間を無駄に浪費しています。早く、Androidベースのタブレットに置き換わってくれないかと思っています。

では、例によって、まえがきからこの本を書いた人がどんな思いで書いたのかを見てゆきます。
『私は、日本のものづくりの現場に長く立ち会ってきて、「なにも衰えていないのに、なぜこんなに衰えたのか」と考えてきた。そして、それは勇気の欠如にあるのではないかと思い始めている。なにもなくとも平然と生きる勇気。それさえあれば、私たちは元気をたやすく取り戻せるのではないだろうか。若きジョブズの、いわば修行時代の話を中心にまとめたのが本書である。それが勇気の物語なのか、そうでないのか。まれに見る成功者の青年時代に、大いに学んでほしい。』

・書籍のご紹介